准邸観音像の制作が進んでおります。
下記に制作に至るまでの想いをしたためました。
修行時代、正月休みは自由な制作ができる格好の時間だった。
大晦日はいつも彫りながら年を越した。
休み最後の日はいつも醍醐寺・上醍醐に登って諸仏に対して新たな一年の抱負と誓願、無病息災を祈願しにいくことがルーティンとなっていた。
弟子3年目の夏、上醍醐は落雷により准胝堂が全焼した。
私の誓願と想いだけではなく、時空を超えて数多の願いを受け止めてきた准胝観音様が幻となった。
そして以後登頂はできなくなった。
一報を聞いたときの落胆と無力感はいまでも身体に染み付いている。
それから14年月日が流れ、巡り巡って真言宗醍醐派・浄心院様から准胝観音像造仏のご依頼をいただいた。
ご要望はやはり消失した上醍醐・准胝観音像をこの世に現し戻すことだった。
ご縁とは不思議だ、
この令和の時代に自分の感性と持てる力を出し尽くして後世に残る准胝観音様を現します。
14年分の想いを込めて。
【宮本我休制作実績】制作実績 | 京都の仏師 宮本我休(GAKYU ガキュウ)