兵庫県出石の沢庵禅師ゆかりのお寺、宗鏡寺が所蔵する小出吉英(よしひさ)公の御位牌を修復させていただきました○
小出吉英公は江戸時代前期・大坂の役でも活躍した大名で出石城主でもあったことから宗鏡寺の沢庵禅師に帰依し、お寺の復興に尽力された方です。
そういったご縁もあり、菩提寺でもある宗鏡寺では代々小出公の御位牌をお祀りされてきました。
その御位牌は意匠がとても美しく、技巧がつくされた唯一無二のもの。
そんな御位牌も長い年月と共に劣化が進み、今にも崩れそうなほど傷みが激しい状態でしたが、この度作られた当初の状態にもどす”復元修復”をさせていただきました(^^)
【宮本工藝・位牌彫刻・修復】https://gakyu.jp/ihai_sculpture
とても珍しい漆黒仕上げの御位牌。
これは沢庵禅師が黒衣(こくえ)を好んで着られていたことから、禅師に帰依していた小出公の御位牌もそれにならって漆黒にしたのではないかともいわれています。
御戒名は作られた当初の文字をそのまま残しています。
この御位牌のシンボルでもある”二八”の額。
これもまた珍しい形ですが、これは「額に二八」という小出家の家紋で、子孫に伝わる話では、小出家が討ち取った敵の首を指揮官に献じる際、首を載せる手頃な台が手元になく、近くの神社に懸けられていた扁額を外し、これに首を載せて献上したことから、額を家紋のデザインに取り入れたとされています。
額の中の二八の文字は吉英公の曽祖父にあたる小出政重が初陣で敵の首を八つづつ二回挙げたことに因んで”二八”という呼び名を使っていた、という言い伝えがあり、ここから家紋に取り入れられたと考えられています。
なんだかおどろおどろしいエピソードですが、これも戦国の世では驚くことでもないのかもしれませんね…(^^;
位牌最上部にはこちらも小出家を表す家紋”丸に星梅鉢”。
「額に二八」と同様、金工で造られていて、鍍金をし直し造られた当初のまま取り付けています。
ここからは修復工程をご紹介していきます。
修復前の状態です。
かなり痛みが激しく、持ち上げると崩れそうな状態でした。
蓮華の花びらはほとんど剥げれて無くなっていますが、残った数枚の花弁を基に復元していきます。
両袖の透かし彫りはとても意匠が美しく、全体としてとても高い技術で造られているのがわかります(^^)
先ずは表面の塗装を剥がしていきます。
塗装は下地(膠と砥の粉)と漆で施されていて、彫りの隅々まで丁寧に取り除いていきます。
この作業を怠ると彫りが埋まり、技巧を尽くした彫刻が台無しになってしまいます。
剥離作業が終わりました○
解体するとこれだけ多くのパーツで構成されているというのがわかります。
こうした構成は後の修復がしやすいという特徴があります。
最上部のパーツです。
雲流を表す透かし彫りを重ね合わせる仕様です。
これは透かし彫りの裏に金箔を施すため、取り外せるようにしておきます。
蓮華部の制作です。
残された数枚の花びらをを基に、作者の作風を読みながら復元します。
その他欠損している部分は新たに補填します。
札の両袖も最上部のパーツと同様透かし彫りの裏に金箔を施すので、取り外せるようにしておきます。
欠損部分は補填し、傷んだ箇所を補正しながら木地が組上りました○
御戒名も彫られた当初の彫り文字をそのまま残しています。
裏の御命日の文字もそのまま残しています。
経年劣化でくすんだ二八の額も鍍金をし直し新調仕上げにします。
完成です〇
造られた当初の姿に戻りました。
漆黒に金、珍しい意匠ですが、重厚感がありなんとも美しい御姿です(^^)
こちらがビフォア(左)、アフター(右)。
今にも崩れそうな状態からしっかりと復元することができました〇
これまでに沢山の御位牌を修復させていただきましたが、その中でも今回の御位牌はあまり類のない珍しいものでした。
「二八の額」や漆黒仕上げなど、他にはあまり見られない意匠が施され、とても高い技術で造られています。
脈々と続いてきた位牌の形も形骸化が進み、こういった唯一無二の御位牌も造られることが少なくなってきました。
正に温故知新で古式から斬新な意匠を学び、今の御位牌造りに活かしたい、と思わせてくれるお仕事となりました(^^)
こういった素晴らしい御位牌を後世に遺していけるよう、日々修復技術と意識を研鑽していきたいと思います〇
【宮本工藝位牌修復実績】https://gakyu.jp/tag/repair_ihai
【宮本工藝制作実績】https://gakyu.jp/works
ここからは吉英公を偲ぶ歴史探報〇
先日、京都の方広寺に行ってきました。