今から約360年ほど前に造られた阿弥陀如来坐像を修復中です。
お預かりした際に御仏身を持ち上げると中からカラカラと音がします。
これは胎内に何か入っていると思い、一部解体するとやはり中から胎内物が出てきました(^^)
入っていた胎内物はこちらの二つ。
和紙で厳重にくるまれ、印や活字で封をされています。
その一つを慎重に開けていくと中から植物の葉のようなものが出てきました。
折り重なった和紙の間にそれぞれ2枚挟まれていて、どういった意図があるのかはわかりませんが、360年もの間押し花のような状態で保存され、朽ちることなくきれいな状態で残っています。
しかし何の葉っぱでしょうか、気になります…(^^;
分厚い和紙を開け切ると、中からまた違った質感の和紙が出てきました。
こちらの書は他方から京都百萬遍知恩寺第39世、光譽萬霊上人の書ではないかとのご指摘をいただきました。
光譽萬霊上人は1662年(寛文2年)知恩寺中興の祖で御影堂を建立された方でもあります。
制作年と上人の在職期間が一致するのでおそらく間違いなさそうです。
お祀りされているお寺は岡山県の曹洞宗のお寺様ですが、どのような経緯でご安置されたのか…謎は深まるばかり…。
仏様の中はまさにタイムカプセル。
これまでビックリするようなものが入っていることがありましたが、中には歴史を変えてしまうものも出てくるかもしれませんね(^^)
もう一つの方を展開していきます。
膠で固められていたので、一旦水につけて慎重に開けていきます。
「寛文三年 五月大吉日」という文字から始まり、御戒名がずらりと記されています。
最後は「三界萬霊六親等」という文字で締めくくられています。
ここからわかることはこの書がしたためられたのは寛文三年、今から358年前(武家諸法度が制定された年)であり、その年の六親等分の先祖供養のために、この阿弥陀様を造られたであろうということ。
どういった家系かはわかりませんが、いくつか「坊」という字も見えることから、僧侶の方なのか?それとも…。
謎は深まるばかり…。
胎内物を取り出した後、本格的な修復作業に入ります。
今回は光背がなく、台座も質素なものですが、多くのパーツで構成されてることがわかります。
仏身の寄木も規範に則ったしっかりとした造りで、おそらく当時の京仏師が制作したものではないかと推測します。
足りないところは新たに補填し、それぞれのパーツを組み上げていきます。
欠損していた光背も新たに作り直します。
今回は後光が放射状にさす針光背です。
ここから胎内物を胎内にもどす作業です。
元の折り目に従って折りたたんでいきます。
葉っぱも元の位置に戻します。
今回修復を施した旨をお寺様にしたためていただきました。
こちらも胎内に納入します。
墨は数百年経っても色あせることなく残り続けます。
このように記録を残すことで、この仏様がどういった経緯をたどってこられたのか確認することができ、後世の方にとっては貴重な資料となります。
こちらも先例に倣って和紙で包みます。
完成しました〇
首ほぞから慎重に納入していきます。
これらの胎内物を胴体内に固定することも考えましたが、今回がそうであったように、中でカラカラと音がするように入れた方が後世の方がわかりやすかったり、修復しようとする意欲につながるかもしれません(^^)
これが発見されるのは何百年後になるのでしょうか…。
仏様の胎内は時空を超えたタイムカプセルです(^^)
木地が組みあがりました〇
この先数百年の劣化に耐え、美観を維持できるよう内部からしっかりと補強を施しました。
これから下地と漆を塗布する作業に入ります。
完成が今から楽しみです(^^)